【動画】中澤佑二が語るブラジル時代や年齢を偽ったヴェルディとの練習試合!ハングリー精神と雑草魂で日本代表に!



グッとスポーツで中澤佑二がブラジル時代の苦悩やJリーグでプロを目指した”雑草魂”のエピソードを語る!

フィールドプレーヤー最多となるJ1リーグ戦通算555試合出場と、歴代最多となった連続フルタイム141試合出場の大記録――。それらはすべて中澤佑二が持つ尽きないサッカーへの情熱と徹底した自己管理の賜物だ。

毎日22時過ぎには就寝し、朝6時には起床する。食生活にも気を使い、アルコール摂取なんてもってのほか。「1分1秒も無駄にできない」と語る彼のことを、タグ・ホイヤー ヤングガン アワードの記者会見に同席した中山雅史は、敬意を込めて“ミスター・ストイック”と呼ぶ。

そんな中澤には、「二度と経験したくない」と思うほど自身を追い込んだ時期がある。18~20歳の頃に経験したブラジル留学時代とヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)での練習生時代だ。

三郷工業技術高校を卒業後、プロを目指して単身ブラジルに渡り、当時二部リーグだったアメリカFCの門を叩いた。スパイクは盗まれ、練習着は貸してもらえない。練習中にパスが回ってくることもない。精神的にも肉体的にも追い詰められたが、やがて頑張りが実を結び、半年が経つ頃には戦力として認められ、試合に出場できるようになった。

V川崎への練習参加のチャンスは帰国後、母校の後輩に混じって出場したヴェルディユースとの練習試合で活躍し、つかみ取ったものだ。とはいえ、参加できたのはサテライトチームのトレーニング。いつクビになってもおかしくなかったが、片道2時間の距離を毎日自費で通って必死に食らいつき、シーズン終了後にプロ契約を勝ち取った。

「苦しかったですね、あの頃は。若かったし、一直線だったので。もう一回と言われたらできないですね。やろうとも思わないし、やりたくもない」

晴れてV川崎の一員となった中澤は21歳の1999年、セレッソ大阪とのホーム開幕戦でスタメンに指名されると、そのままレギュラーの座を勝ち取った。そこから「ボンバーヘッド」と名付けられた特徴的な髪型とあいまって、一躍スターダムにのし上がっていく。日本代表や横浜F・マリノスでのリーグ連覇など、その後の活躍は言わずもがなだ。

中澤は“ボンバーヘア”だった当時の写真を眺め、「恥ずかしいですよね」と苦笑する。しかし、そこに込められた初心は、今なお薄れることはない。

「とにかく顔と名前を覚えてもらいたいという思いで、ああいう髪型にしていたんです。あの頃の『Jリーグでレギュラーとしてやっていきたい』、『プロとしてやっていきたい』っていうギラギラした感じは、今も持ち続けています」

もう一度やれと言われてもできないし、やろうとも思えないほど自分を追い込んだ二十歳の頃。歯を食いしばって努力した経験があるからこそ、その頃のハングリーさを失っていないからこそ、39歳になった今なおトッププレーヤーでいられるのだ。

「若い子たちには、まだまだ負けられないですから」

日本サッカー界の未来を担う若手選手たちにとって、乗り越えるべき最高のお手本がここにいる。


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グッとスポーツでプロを目指したブラジル時代を語る中澤佑二の動画

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